防音の重要性を確認
行く先々で、似たような話を聞かされる。
森の木々が伐採され、川岸がコンクリートで塗り固められ、干潟は埋め立てられ、美しい自然が次々に姿を消していく。
日本全国津々浦々、聞こえてくるのは政治の腐敗や環境破壊を嘆く声ばかり。
これほど豊かな自然に恵まれ、素晴らしい文化を誇る国のもとで、こんな暴挙がまかりとおるとは。
すさまじい環境破壊が暗雲となって重く心に垂れ込めていた。
私は長年、空手を中心に武道の鍛錬に努めてきた。
エチオピアでは実際に、山賊どもや密猟者と戦ったこともある。
だが、この美しい国が殺されようとしている今、私にそれを押しとどめる術はないのか。
いっそ、腐りきった政治家どもの細い首根っこをへし折ってしまおうか。
暴力がタブーだというなら、ほかに何ができる.たろう。
当時、私の生まれ故郷ウェールズでは森林再生に取り組んでいた。
人々の努力によってテムズ川は死の淵からよみがえり、サケがふたたび遡上するまでになった。
そのころ、日本は何をしていたか。
長良川に河口堰を造ろうとしていたのだ。
プナの原生林を切り開いてスキーのゲレンデを造ったかと思えば、木を片端から切り倒し、丸裸の森をブルドーザーで踏みにじっては、次々とゴルフ場を造っていく。
いったい、私に何ができただろうか。
世界にも例のない、変化に富んだ美しい日本の自然が、すさまじい勢いで破壊されていった。
政治の腐敗と建設業界の強大さの前にはなす術もなく、権力はさながら巨大なローラーのごとく、我々の抗議の声を押しつぶしていったのだ。
いったい、私に何ができただろう?講演を行い、テレピ番組を作り、活字で訴え、環境問題の諮問機関に名を連ねもしたが、事態は何一つ変わらない。
日本や日本人を深く愛する気持ちとは裏腹に、一国の指導者たるべき政治家たちに対しては、侮蔑と憎悪の念が募るばかりだった。
私は次第に、無力な自分を憎むようにすらなっていった。
日本での狩猟をやめた最大の理由は、獲物となるべき動物がほとんどいなくなってしまったことにあるが、もう一つ、このまま銑を手元に置いておいたら、思わず自分の頭に向かって引き金を引いてしまいそうな衝動にたびたび駆られたからだ。
情けない話だが、環境破壊の現状と、それに対して何もできない己の無力さとに、私はそこまで追い詰められていた。
今だから告白できることだが。
そんな折、私はウェールズへ帰った。
かつて産業革命の時代には木一本生えていなかった谷、かつて私の少年時代には炭坑から吐き出される石炭クズハスラグ)に埋めつくされていた醜い谷が、青々とした緑に生まれ変わっているではないか。
私の目の前には自然の息吹に満ちた森が広がっていた。
その中には、半生を自然保護にささげてきた私の労をたたえて、我が第2の故郷、黒姫原産の木々を植え、その天然林を模した一画もあった。
このときから、私の人生は変わった。
この手で森を買い始めたのだ。
まずは、ハンター仲間の一人の説得にかかった。
人生を森とともに歩んできたその男に、私はありったけの情熱をもって「力を貸してほしい」と頼み込んだ。
いつかこの手で、花や鳥や動物たちでいっぱいの森を育てたいのだ、と。
この森だけは何があろうと売らないし、木を切ったりもしない、と誓った。
1962年に初めてこの国を訪れて以来、私は日本の自然に魅せられ、島艇の念すら感じてきた。
その私に何かしらできることがあるとすれば、それは自分の知名度を生かし、ささやかな私財を投じて、たとえわずかでも自然を残すことではないかと考えたのだ。
以来、はや10年がたつ。
ささやかだが美しいこの森を、私は「アファン」と名づけた。
ウェールズの、元は炭坑だった谷、「アファン・アル・ゴード」の名にちなんで、森のふもとに広がる谷間、という意味だ。
懸命の日々が続いた。
私は森を買う資金づくりと勉強のために、パートナーの松木信義さんは森を守り、はぐくむために、ひたすら働いた。
その聞には多くの友を得たが、また敵も増えた。
だが、初めのうちは歯牙にもかけなかった。
幼い娘はすくすくと成長し、よき友人にも恵まれた。
やらねばならぬことは山ほどあるのだ。
後ろを振り向いている暇などない。
そう心に言い聞かせた。
腹が立つでしょうがないときには、道場でうっぷんを晴らした。
自宅から百メートル足らず、鳥居川のすぐわきに建てた書斎兼道場で空手のけいこに励むうち、怒りは汗とともに流れ去ってしまう。
それでも腹がおさまらないときは、森を歩き、松木さんとお茶を飲みながら、話をした。
そうするうちに、心は不思議と落ち着きを取り戻したものだ。
深夜に嫌がらせの電話がかかるようになったのは、ちょうどこのころのことだ。
私を誹誠中傷する根も葉もないうわさが広まり、扇情的な記事が売り物の雑誌に、悪意に満ちた文章が掲載された。
あわや日本を追放されかけ、生命の危険すら感じたこともある。
異人種聞の結婚を根絶しようとする組織的な力が動いていたのだ。
その一方では、日本中どこへ行っても、私を温かく受け入れてくれる人たちがいた。
その後、日本の国籍を申請するに至ったのは、私が知っているすべての国の中で、やはり一番愛しているのは日本であり、この園の人たちだと思ったからだ。
これからも私の闘いは続くことだろう。
この身を流れる血が、闘いに背を向けることを許すまい。
私の断固たる態度につまらない嫌がらせはやんだが、自然破壊はとどまるどころか、ますますひどくなる一方だった。
フィールドワークの勉強をするとなれば、黒姫に勝る場所があるだろうか。
しかも、ここには「アファン」というまたとない訓諌場があるのだ。
今春、2期目の卒業生たちが巣立っていく。
発足間もない学校だけに、まだ問題は山積しているが、どうにかここまでやってきた。
どうやってもフィールドワークには、時間と金がかかる。
どちらもおぼつかない現状ではあるが、すべては、まだ始まったばかりなのだ。
この地に居を定めてこの方、私は道場の2階を書斎として執筆に励んできた。
真下を流れる鳥居川の水音を聞きながら、机の上には望遠鏡を置いて、入れかわり立ちかわり現れる鳥たちを飽かず眺めたものだ。
1995年、集中豪雨による洪水が発生した。
私の書斎兼道場から百メートル足らずのところで、鳥居川が決壊したのだ。
洪水による被害は甚大だったが、私の道場は正面の川岸を木立が守ってくれたおかげで事なきを得た。
だが政府は、その木を切り倒し、川幅を広げて、流れをまっすぐにせよとの結論を出した。
もう2度と、川面に急降下するカワセミの姿を見ることもなくなるだろう。
そのうえ、書斎の裏手の小さな森までがディベロッパーに売られてしまった。
連中が木を切り倒したことは言うまでもない。
ここで再度、断固たる抗議を申し入れたとしたら、地元の役人たちは怒り狂い、私はまたもや目の敵にされることだろう。
聞いてほしい。
環境破壊のツケはいずれ恐ろしい災いとなって、あなた方の子どもや孫を襲うのだ。
日本の中心産業である建設業界にもいつか必ず影の差す時がくる。
すべてが衰え、朽ちてしまったときに、果たしてこの園を再建していくための何が残されているというのか。
この日本には、ケルト生まれの日本人が自然のふところで心安く暮らせる場所はないのだろうか。
日本はこのまま、自殺行為にも等しい環境破壊を続けるのだろうか。
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